スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | page top↑
四国大会に行ってきた(1)
久しぶりの、顧問Hatchです。

部長のタマから「全体の感想を書いてください」と言われ、どうしようと戸惑いつつ、とりあえず書いてみました。とてもまとめきれるものではありません。が、あえて強引にまとめるとすれば、「深く考えて作る、作りながら考える」という、当たり前のことを高いレベルで実践しているのだな、と実感させられた、とでもなるのでしょうか。とにかく、発見の多い2日間でした。

大会では、「現代の高校生」ではない登場人物を中心に据えた作品が5つ、「現代の高校生」を中心に据えた作品が4つありました。高校演劇の分類で言う「既成」は4本ですが、このうちの2本は顧問や部員の中に外部コーチが入っているためにそういう分類になるもの、1本は童話を潤色したものでした。

ではまず、「現代の高校生」ではない登場人物を中心に据えた作品から。
松山東雲と鳴門の作品は、2013年を生きる自分とはつながりにくい「登場人物のいた時代」や「登場人物の持つ『生き残ったことに対する罪悪感』」について考え、話し合い、それを登場人物の身体を通して表現しようとしていていました。前者は被曝後の広島について、後者は神戸の震災について、かなりの調査が行われていることが伝わってきました。
土佐女子の作品は、自分とはつながりにくいであろう「27歳の女性」の現状と未来への不安を、完成度の高い舞台装置とあわせ、よく表現できていたと思います。
丸亀の作品は楽しくも哲学的で、「何を喩えているのだ?」と考えさせられました。舞台を作っていく上で、台本の意図について様々な疑問点が出され、それについて多くの話し合いが行われたと思われます。
高知追手前の作品は、限られた舞台空間の中で宮沢賢治の世界をどのように表現すべきか考え抜いた結果であると思います。「六角形の白い椅子」は何を意味しているのか、未だに考え中です。

次に、「現代の高校生」が中心の作品を。
川之江の作品は、コミカルな会話の中にいじめの話題を少しずつ挟み、傍観者であることを選択した生徒が問題と向き合おうと決意するまでを描いていました。高校生と「いじめ」との距離感が丁寧に表現されていました。
富岡東羽ノ浦の作品では、部員に自分の脚本を使ってもらえなかった女子生徒と家出を試みた男子生徒が、会話を通して自分を客観的に見つめ直し、前向きに進み始めるまでを、精密に作られた舞台装置と考え抜かれた照明の中、描かれていました。
観音寺第一の作品は、高校演劇の審査システムや「高校生らしさ」についての疑問や、「演劇大好き!」という思いをストレートに伝えるものでした。顧問の先生と部員で「リアルな高校生」像を作り上げていました。はじめて自分の言葉で自分を語ろうとする女生徒の姿が印象的でした。
松山東の作品は、「いじめられっ子」を守ろうとするクラスメートが、様々な情報に翻弄されつつ「正しいことって何?」と悩み続ける姿が、おそらく現在の国際情勢とダブらせる形で描かれていました。役者の台詞は内面化されており、相当の試行錯誤があっただろうことが分かりました。

これら四国大会に出場した各校の作品は、それぞれにオリジナリティのある、非常にバラエティに富むものでした。冒頭にも書いたように、「考える」という点についての四国のレベルの高さを感じました。とても充実した時間を過ごすことができました(運転疲れた)。
スポンサーサイト
【2013/12/27 15:02】 | 観劇メモ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<四国大会に行ってきた(2) | ホーム | 12月26日 高校演劇っていったいどういうこと?>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://butagei2525.blog98.fc2.com/tb.php/1496-fc5b1c2c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。